2015.08.16

映画:風立ちぬ(スタジオジブリ 宮崎駿監督長編引退作品)

家内がずいぶん前に録画していた、ジブリの風立ちぬを観た。

マニアックな飛行機ネタ満載の映画だが、普通の人にはわからない。ただの恋愛ものとして観たら、ひどい男という評価も当然かもしれない。
Wikipediaを見ると、原作があってモデルグラフィックスというプラモデル雑誌に連載されていたもので、映画にすることに無理があるなあと思う。

引退作品として、作りたいものをそのままに作ったので、「わからない人にはわからないよ」と、主題歌の「ひこうき雲」の以下のフレーズで説明されているような気がした。
 高いあの窓で あの子は死ぬ前も
 空をみていたの
 今はわからない
 ほかの人にはわからない

2015.08.13

映画:インサイドヘッド(ピクサー20周年記念作品)

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久しぶりに映画を見に行った。

前日まで題名さえ知らなかった作品なのだが、いつも読んでいるIT Media系の「海外速報部ログ」で紹介されていたのを読んで、作品サイトを開き、そこにあった予告編の方言バージョン動画のうち、昔、住んでいた石川県(金沢弁)を見て、家内と大笑いし、映画を見てみたくなった。

映画自体は、金沢弁バージョンほどの笑いはなかったが、11歳の少女が、親の仕事の都合で雪国かつ田舎のミネソタからロサンゼルスに引っ越したが、なじめずに落ち込んでミネソタへ帰ろうと家出をするまでに至る心の動きを、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリという5種類の感情を示すキャラクタの活躍で何とか感情の崩壊を起こさずに乗り切るというアメリカ映画らしいお話。

自分も11歳の時に親の仕事の都合で雪国から暖かい地方へ引っ越した経験がある。その時は、引っ越し前の周囲の子供たちの意識レベルと自分のレベルが合わずにずっと疎外感を感じていたが、引っ越し先の子供たちの社会性がとても高く、居場所を見つけることができてその地方での生活はとてもたのしいものになった。この映画とは逆のパターンなのだが、この映画のようになっていたら、さらに落ち込んで自分がどうなっていたかは分からなかったなと思う。

さらに自分も、上の子が11歳の時に引っ越ししたが、自分がいっぱいいっぱいで、特別な配慮はできなかったなと今になって反省させられる。それでも、もう22歳になって、自分の進みたい道を見つけてゆっくりながら成長してくれているのをみて、何とか乗り切ってくれてありがたいなと思う。

21世紀の自由論(佐々木俊尚、NHK出版新書)

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2015.08.13読了

リベラルでも保守でもない人の本として読んでみたが、前半部分の日本のリベラル勢力、保守勢力の両方への批判と後半のSNSの存在を前提とした新しい世界の在り方とのギャップが大きくて混乱。前半は全否定的な書き方なのに、後半部分は思いっきり性善説での展開で、ゆっくり考えずに書いているんじゃないかと思えてくる。

編集者が読んで批評をしているならば、もう少しましな内容になったはずだが、時間切れとなったのか?それともNHK出版の実力か?

2015.08.02

反知性主義(森本あんり、新潮選書)

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2015.07.31読了

アメリカで大きな力を持つ、反知性主義がどのように形成されたかを、時代ごとの中心人物を紹介しながら紹介した本。

ヨーロッパはキリスト教という権威への対抗軸として知識人が存在するが、アメリカはキリスト教が権威として形成されることなく社会が出来上がってしまい、知識人が権威の一角を占めることになった。それへの対抗軸として生まれたのが反知性主義という流れ。

アメリカのキリスト教が、努力して祈れば報われるという現世利益中心であることは薄々感じていたが、それがどのように定着したのかという過程が歴史とともに語られている。

この先も大統領選挙などのイベントがあるたびに読み返すことになりそうな気がする。

2015.05.11

おいしいコーヒーを求めているわけではないのかも?

コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを一人で飲みながらふと思った。もしかすると、おいしいコーヒーを飲みたいわけではないのかもしれない。コーヒーを飲みながらちょっとしたおやつをつまんで家族と話をする、その時間が好きなだけ。人と飲んでいるコーヒーは集中していないから、おいしいかどうかさえ記憶が怪しいが、それでもゆったりと過ごした時間は豊かに感じる。

一人で飲むコーヒーはハンドドリップで自己最高記録級にうまく入れることができた時であっても、おいしいと感じるのは最初の一口二口だけで、いつの間にかコーヒーから意識が離れてWebサイトを読み込んでいたり、机の周りの探し物を始めてしまったり、集中して飲むのはなかなか難しい。また、外で飲んだコーヒーでも、これは最高にうまいと最後に感じたのはいつだったか全く思い出せない。特別なマニアではないものの、やっぱりより良い豆でなきゃ、挽きたてでなくちゃ、ハンドドリップで頑張るぞと思っていた感覚は、自分の外側から頭の中にだけ入り込んだ情報だけで、今、落ち着いて考えてみると本当はコーヒーはそれほど好きでもないのかなとさえ感じ始めている。

一方、日本茶については、高級ではないもののそれなりの茶葉を使って自分で失敗せずに淹れたものがおいしいことがちゃんとわかるし、銘柄の味の違いにもそれなりに自信が持てる。結局のところ、日本の、それも田舎暮らしでは本当においしいコーヒーを経験できないままに40年近く過ごしてしまったというだけのことかもしれない。

という結論に至った途端に、"加齢により普段使わない味覚や臭覚が鈍感になってきたのではと?”いう疑問が浮かんでドキリ。でもそれならそれで、余計なこだわりがなくなって楽になるなということにして、深追いはしないことにした。

2015.05.04

五重塔(幸田露伴、青空文庫、Reader+達人出版会)

2015.05.02読了。

江戸谷中の寺に建設することになった五重塔を巡って、実績ある棟梁と地道に仕事をしてきたが大きな仕事は成しえていない棟梁との気持ちのぶつかり合いとその間で手際よくいなす住職との三者の人間模様を描いた作品。

小説というよりは講談のネタ本という感じで、読み始めは読みにくかったが、リズムをつかむとどんどん引き込まれて読み進んでいく。物語の最後に若干の謎が残ったのは、読者間の議論を残す余韻なのかなと思う。

こういう文体の小説は生き残らず、本当の講談の世界に残るだけだが、今の時代であっても、こういうリズム感のある小説があっても良いかなと感じた。あるいは演劇の世界に移行したのかもしれないが、その方面の知識はないのでわからない。戯曲を読んでみるのも面白いかなと思う。

2015.04.26

想像ラジオ(いとうせいこう、ReaderStore)

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2015.04.21読了

大津波を生き残った人と亡くなった人とが、どんなふうにお互いの関係が変化していくのかというテーマで、死者の思いを一人のDJとそのリスナーたちという形で描いた作品。DJの語りはにぎやかしく、痛々しく、むなしく響いて、結末を想像できるだけに読む側も気が重くなる。消え去るDJの最期には小さな救いも与えられるが、心が晴れるわけではない。結局のところ、"思う"以外に生者は何もできない。

過去の大津波は忘れ去られて被害が繰り返されたけれど、デジタルアーカイブが残るこれからは過去の教訓やこの小説のような残された人の思いも多くが残るはず。経験で人は賢くなれたのかを次の災害の時に見ることになる。

2015.04.21

現代秀歌(永田和弘、岩波新書)

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2015.04.07読了。

短歌を読む時、歌だけを単独で読む時とその背景や解説を含めて読む場合では、印象が違ってくる。単独で純粋に言葉の流れとして読んだほうが言葉の切れ味とかほのぼのとした印象とか、言葉の本質がつかめるような気がする。でも、わずか31文字から得られる情報は限られていて、作者の置かれた状況が全く想像できないものや、伝えたい内容が見つけられない時があり、もう少し知りたいと感じる時も多い。

でも、解説を読んだ結果、第一印象が崩れてがっかりしたり、勘違いを訂正されたりと、読むんじゃなかったと感じる時と詳しく知って良かった感じる時の両方がある。第一印象は大切だし、その歌について誰かと語り合うのならば、より正確に知る必要もあるかと思うし、せっかくの名作を誤解したままでいるのも残念だ。

この本のような形で、冒頭の歌だけを読んで、続く解説を読んだり読まなかったりを選択しながら読み進めることは可能なのだけれど、目に入るのに読まずに済ますのには、ちょっとした気合が必要になる。また、誤解している場合は救われない。基本的に解説は見えない作りで、誤解している時や読みたいと思った時だけ表示されるような対話的な仕組みがあればなあと思ったりする。Webなどでは可能だと思うが、直後に簡単なテストでもされない限り誤解の問題の検出は難しそうだ。

肝心の歌の内容は心惹かれるもの、ピンとこないもの、ほっこりするものなど様々で、これから歌の部分だけを何度か読み返すうちに好きな歌人が出てきたらなあと思っている。

2015.04.20

Windows10でのUI変化

Windows10ではスタートメニューの復活やデスクトップの改善ばかりが話題になっているが、Store App.改めUniversal/Windows App.や電話用アプリのUIも大きく変化するようで、OSの変更としてはこちらが本質なのではないかと感じ始めている。既に枯れた環境かつMicrosoftが勝者であるデスクトップの変化は、現在のIT市場での覇権競争にはあまり影響しないが、Windowsモバイル環境の復活は今後の流れに大きく影響するはずで、Microsoftがどのように窮状を打開するのかの物語が、一番興味深い。

Windows8.xでは、最後発タブレット向けOSとしてMicrosoftがiOSやAndroidを越えるUIを作ろうとして、スワイプインによるアプリバーメニューや各種チャームを実装した。狭い画面を有効に使うためにUI要素を隠すデザインにして、必要な時にはスワイプインで素早く表示できる仕組みはなかなか良くできている。僕もこれをとても気に入って、Surface2を使うたびにその良さを常々感じている。

しかし、戦略としてはまずかった。最後発ということは、新しくこのUIに触れるユーザは既にiOSかAndroidを経験している。見えないUIを呼出す操作は、初めての人には見つけられないため、第一印象は良くないものになる。開発者の立場でも、他環境版のアプリを移植する際にUIを作り直さなければならなくなり、投資が回収できるかどうかが分からない小規模な市場に新たな開発投資が必要というのでは積極的に進出できない。同様の問題はWindows Phone8.xのUIでも起きていて、カルーセルと呼ばれる横スワイプで画面を切り替えていくUIは他環境とは大きく違っていて、ユーザ、開発者の双方にとっての参入障壁となっている。

バルマーとシノフスキーは、Windowsでのマーケットリーダとしての経験を背景として、Windows8.xにこのUIを採用したのだろう。あるいは、"WindowsはMacOSの物まね"と言われ続ける状況を脱したかったのかもしれない。しかし、デスクトップWindowsのUI変更ならば、それを拒否する(=MacやChromebookを選択する)ことに比べてリスクが小さいという判断で、ユーザや開発者はついてきてくれる。でも、フォロワーの立場にあるモバイルOSの戦略としては先に述べたとおり不適切。さらに、新UIにデスクトップユーザまで巻き込んだ点が致命的で、Windows8.xでのオリジナルUIは完全な失敗に終わってしまった。個人的には出来の良いUIが葬り去られるという点で非常に残念だ。

Windows10の開発では、他OSと類似したUIに切替えるという方針変更をしている。アプリ環境の呼び名がStore/Metro/Modern App.から、Universal App.に変更されているのは、どのWindowsデバイスでも動くという意味だけではなく、"普遍的な、誰もが知っている"="iOSやAndroidと同じような"という意味を持たせているのかもしれない。また、SurfacePro3が3:2の縦長画面になったのも、単にデスクトップ環境での使いやすさの改善だけではなく、タブレット時にもUI要素を見せるという方針を受けて、そのためのスペース確保をしたという意味もあるのだろう。

この方針転換でWindows10でのタブレット/電話系アプリ不足が解消するかどうかはわからない。一方で、Windows10ではXAMLによる新しいダイアログデザインが採用されるとともに、クラウドサービス向けクライアントアプリがストアアプリ形式で提供されていることからすると、Microsoftは本気でアプリケーション環境を移行しようとしているように見える。新しい環境が定着するかどうかは、その環境のアプリが動かないWindows7を駆逐してWindows10が普及できるかにかかっている。BUILDで発表されるはずの、Windows10への移行戦略、価格戦略はかなり大胆なものになるのではないかと予想している。

WindowsPhoneには期待したほどの魅力がなかった?

Lumia636を購入してWindows Phone8.1を使い始めたが、Surface2でWindows8.1を使うことに比べて、感動が少ないと感じていた。老眼には厳しい狭い画面の小さな文字、かつ一部アプリは中華フォントという状態だからそういう面での"ガッカリ感"のためかなと考えていた。

しかし、Windows10でのUI変更の方向性が見えてきて、WindowsPhone8.1に何が足りないのかに気付いた。Windows8.1のストアアプリは全画面表示でUI要素はチャームやアプリバーの中に隠されていることが原則。画面端からのスワイプインでUIを表示して操作するのが基本スタイルで、僕はその操作のリズム感に魅力を感じていた。しかし、WindowsPhone8.1では基本的にUI要素は常時表示で、例外的に"…"アイコンの中に使用頻度の低いメニューが隠されている。つまり、スワイプインという新しさがないということ。代わりにカルーセルと呼ばれる横方向スワイプによる表示切替機能があるが、あくまで画面遷移であって、他OSでも一般的な機能をOS標準機能に取込んだもの。スタートメニューのアイコン整列ではない画面デザインとライブタイル程度しか差別化要素が感じられないという点が、魅力のなさを感じさせている。

更にWindows10mobileでは、このカルーセルさえなくす方向が明らかになってきていて、他OSとの違いがなくなっていく。便利に活用できてはいるものの、Windows Phoneである必然性はない。狭いエリアを我慢しながら使い続ける意味がどこにあるのかを考え始めている。

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