2015.05.11

おいしいコーヒーを求めているわけではないのかも?

コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを一人で飲みながらふと思った。もしかすると、おいしいコーヒーを飲みたいわけではないのかもしれない。コーヒーを飲みながらちょっとしたおやつをつまんで家族と話をする、その時間が好きなだけ。人と飲んでいるコーヒーは集中していないから、おいしいかどうかさえ記憶が怪しいが、それでもゆったりと過ごした時間は豊かに感じる。

一人で飲むコーヒーはハンドドリップで自己最高記録級にうまく入れることができた時であっても、おいしいと感じるのは最初の一口二口だけで、いつの間にかコーヒーから意識が離れてWebサイトを読み込んでいたり、机の周りの探し物を始めてしまったり、集中して飲むのはなかなか難しい。また、外で飲んだコーヒーでも、これは最高にうまいと最後に感じたのはいつだったか全く思い出せない。特別なマニアではないものの、やっぱりより良い豆でなきゃ、挽きたてでなくちゃ、ハンドドリップで頑張るぞと思っていた感覚は、自分の外側から頭の中にだけ入り込んだ情報だけで、今、落ち着いて考えてみると本当はコーヒーはそれほど好きでもないのかなとさえ感じ始めている。

一方、日本茶については、高級ではないもののそれなりの茶葉を使って自分で失敗せずに淹れたものがおいしいことがちゃんとわかるし、銘柄の味の違いにもそれなりに自信が持てる。結局のところ、日本の、それも田舎暮らしでは本当においしいコーヒーを経験できないままに40年近く過ごしてしまったというだけのことかもしれない。

という結論に至った途端に、"加齢により普段使わない味覚や臭覚が鈍感になってきたのではと?”いう疑問が浮かんでドキリ。でもそれならそれで、余計なこだわりがなくなって楽になるなということにして、深追いはしないことにした。

2015.05.04

五重塔(幸田露伴、青空文庫、Reader+達人出版会)

2015.05.02読了。

江戸谷中の寺に建設することになった五重塔を巡って、実績ある棟梁と地道に仕事をしてきたが大きな仕事は成しえていない棟梁との気持ちのぶつかり合いとその間で手際よくいなす住職との三者の人間模様を描いた作品。

小説というよりは講談のネタ本という感じで、読み始めは読みにくかったが、リズムをつかむとどんどん引き込まれて読み進んでいく。物語の最後に若干の謎が残ったのは、読者間の議論を残す余韻なのかなと思う。

こういう文体の小説は生き残らず、本当の講談の世界に残るだけだが、今の時代であっても、こういうリズム感のある小説があっても良いかなと感じた。あるいは演劇の世界に移行したのかもしれないが、その方面の知識はないのでわからない。戯曲を読んでみるのも面白いかなと思う。

2015.04.26

想像ラジオ(いとうせいこう、ReaderStore)

Photo

2015.04.21読了

大津波を生き残った人と亡くなった人とが、どんなふうにお互いの関係が変化していくのかというテーマで、死者の思いを一人のDJとそのリスナーたちという形で描いた作品。DJの語りはにぎやかしく、痛々しく、むなしく響いて、結末を想像できるだけに読む側も気が重くなる。消え去るDJの最期には小さな救いも与えられるが、心が晴れるわけではない。結局のところ、"思う"以外に生者は何もできない。

過去の大津波は忘れ去られて被害が繰り返されたけれど、デジタルアーカイブが残るこれからは過去の教訓やこの小説のような残された人の思いも多くが残るはず。経験で人は賢くなれたのかを次の災害の時に見ることになる。

2015.04.21

現代秀歌(永田和弘、岩波新書)

Photo

2015.04.07読了。

短歌を読む時、歌だけを単独で読む時とその背景や解説を含めて読む場合では、印象が違ってくる。単独で純粋に言葉の流れとして読んだほうが言葉の切れ味とかほのぼのとした印象とか、言葉の本質がつかめるような気がする。でも、わずか31文字から得られる情報は限られていて、作者の置かれた状況が全く想像できないものや、伝えたい内容が見つけられない時があり、もう少し知りたいと感じる時も多い。

でも、解説を読んだ結果、第一印象が崩れてがっかりしたり、勘違いを訂正されたりと、読むんじゃなかったと感じる時と詳しく知って良かった感じる時の両方がある。第一印象は大切だし、その歌について誰かと語り合うのならば、より正確に知る必要もあるかと思うし、せっかくの名作を誤解したままでいるのも残念だ。

この本のような形で、冒頭の歌だけを読んで、続く解説を読んだり読まなかったりを選択しながら読み進めることは可能なのだけれど、目に入るのに読まずに済ますのには、ちょっとした気合が必要になる。また、誤解している場合は救われない。基本的に解説は見えない作りで、誤解している時や読みたいと思った時だけ表示されるような対話的な仕組みがあればなあと思ったりする。Webなどでは可能だと思うが、直後に簡単なテストでもされない限り誤解の問題の検出は難しそうだ。

肝心の歌の内容は心惹かれるもの、ピンとこないもの、ほっこりするものなど様々で、これから歌の部分だけを何度か読み返すうちに好きな歌人が出てきたらなあと思っている。

2015.04.20

Windows10でのUI変化

Windows10ではスタートメニューの復活やデスクトップの改善ばかりが話題になっているが、Store App.改めUniversal/Windows App.や電話用アプリのUIも大きく変化するようで、OSの変更としてはこちらが本質なのではないかと感じ始めている。既に枯れた環境かつMicrosoftが勝者であるデスクトップの変化は、現在のIT市場での覇権競争にはあまり影響しないが、Windowsモバイル環境の復活は今後の流れに大きく影響するはずで、Microsoftがどのように窮状を打開するのかの物語が、一番興味深い。

Windows8.xでは、最後発タブレット向けOSとしてMicrosoftがiOSやAndroidを越えるUIを作ろうとして、スワイプインによるアプリバーメニューや各種チャームを実装した。狭い画面を有効に使うためにUI要素を隠すデザインにして、必要な時にはスワイプインで素早く表示できる仕組みはなかなか良くできている。僕もこれをとても気に入って、Surface2を使うたびにその良さを常々感じている。

しかし、戦略としてはまずかった。最後発ということは、新しくこのUIに触れるユーザは既にiOSかAndroidを経験している。見えないUIを呼出す操作は、初めての人には見つけられないため、第一印象は良くないものになる。開発者の立場でも、他環境版のアプリを移植する際にUIを作り直さなければならなくなり、投資が回収できるかどうかが分からない小規模な市場に新たな開発投資が必要というのでは積極的に進出できない。同様の問題はWindows Phone8.xのUIでも起きていて、カルーセルと呼ばれる横スワイプで画面を切り替えていくUIは他環境とは大きく違っていて、ユーザ、開発者の双方にとっての参入障壁となっている。

バルマーとシノフスキーは、Windowsでのマーケットリーダとしての経験を背景として、Windows8.xにこのUIを採用したのだろう。あるいは、"WindowsはMacOSの物まね"と言われ続ける状況を脱したかったのかもしれない。しかし、デスクトップWindowsのUI変更ならば、それを拒否する(=MacやChromebookを選択する)ことに比べてリスクが小さいという判断で、ユーザや開発者はついてきてくれる。でも、フォロワーの立場にあるモバイルOSの戦略としては先に述べたとおり不適切。さらに、新UIにデスクトップユーザまで巻き込んだ点が致命的で、Windows8.xでのオリジナルUIは完全な失敗に終わってしまった。個人的には出来の良いUIが葬り去られるという点で非常に残念だ。

Windows10の開発では、他OSと類似したUIに切替えるという方針変更をしている。アプリ環境の呼び名がStore/Metro/Modern App.から、Universal App.に変更されているのは、どのWindowsデバイスでも動くという意味だけではなく、"普遍的な、誰もが知っている"="iOSやAndroidと同じような"という意味を持たせているのかもしれない。また、SurfacePro3が3:2の縦長画面になったのも、単にデスクトップ環境での使いやすさの改善だけではなく、タブレット時にもUI要素を見せるという方針を受けて、そのためのスペース確保をしたという意味もあるのだろう。

この方針転換でWindows10でのタブレット/電話系アプリ不足が解消するかどうかはわからない。一方で、Windows10ではXAMLによる新しいダイアログデザインが採用されるとともに、クラウドサービス向けクライアントアプリがストアアプリ形式で提供されていることからすると、Microsoftは本気でアプリケーション環境を移行しようとしているように見える。新しい環境が定着するかどうかは、その環境のアプリが動かないWindows7を駆逐してWindows10が普及できるかにかかっている。BUILDで発表されるはずの、Windows10への移行戦略、価格戦略はかなり大胆なものになるのではないかと予想している。

WindowsPhoneには期待したほどの魅力がなかった?

Lumia636を購入してWindows Phone8.1を使い始めたが、Surface2でWindows8.1を使うことに比べて、感動が少ないと感じていた。老眼には厳しい狭い画面の小さな文字、かつ一部アプリは中華フォントという状態だからそういう面での"ガッカリ感"のためかなと考えていた。

しかし、Windows10でのUI変更の方向性が見えてきて、WindowsPhone8.1に何が足りないのかに気付いた。Windows8.1のストアアプリは全画面表示でUI要素はチャームやアプリバーの中に隠されていることが原則。画面端からのスワイプインでUIを表示して操作するのが基本スタイルで、僕はその操作のリズム感に魅力を感じていた。しかし、WindowsPhone8.1では基本的にUI要素は常時表示で、例外的に"…"アイコンの中に使用頻度の低いメニューが隠されている。つまり、スワイプインという新しさがないということ。代わりにカルーセルと呼ばれる横方向スワイプによる表示切替機能があるが、あくまで画面遷移であって、他OSでも一般的な機能をOS標準機能に取込んだもの。スタートメニューのアイコン整列ではない画面デザインとライブタイル程度しか差別化要素が感じられないという点が、魅力のなさを感じさせている。

更にWindows10mobileでは、このカルーセルさえなくす方向が明らかになってきていて、他OSとの違いがなくなっていく。便利に活用できてはいるものの、Windows Phoneである必然性はない。狭いエリアを我慢しながら使い続ける意味がどこにあるのかを考え始めている。

Lumia636+IIJmio SIM購入

Dscn2878

携帯電話が202SH購入の方針に落着いて、必ずつながる電話としての機能が不要になったので、安心してSIMロックフリー端末+MVNO SIMを探すことができるようになった。

以前から考えていたWindows Phoneにするか、無難にAndroidやiPhoneにするかでまず悩んだが、スマホの小さな画面に老眼が耐えられるかという根本問題があり、即時撤退となるリスクを考えると費用は最小にしたいこともあって、2万円強の投資で手に入るLumia636を選択。国内未発売なのでExpansysに注文、届いたのは香港版だった。

組み合わせるMVNOの選定も悩ましかったが、通信品質の評価が高く、購入直前に月当たり通信量倍増のアナウンスがあったIIJmioに決め、Lumiaを注文する時に、SIMの値引き販売をしていたExpansysから合わせて購入。Lumia636、SIM、32GB microSDの合計で約25,000円の投資となった。

Lumia636は、ドコモLTEのバンド1にのみ対応していてFOMAプラスエリアには非対応、かつ周波数が高く電波が回り込みにくい2.1GHzなのでエリアの狭さは覚悟していたが、予想通り通勤時に電車で通過する県境付近の3駅分の区間はつながらない。ソフトバンクの705NKも2.1GHzのみだだったが、これほどエリアは狭くなった。ソフトバンクはプラチナバンドがない時代が長かったので、2.1GHzでもつながる努力をしていたということか?職場の事務所でも、自席はアンテナピクト4本中1本、トイレで2本程度でかなり厳しい状態。ただし、自宅周辺の出回り先は2~4本で問題なし。機種変更した202SHはプラチナバンド対応機種なので、Lumiaが厳しい範囲でもアンテナピクト3本中2本は必ず維持できているため、電話機能を切り離したのは緊急時の安心感という意味で正解だった。

購入前は、Lumia636に環境光センサがないこと、通話時の顔近接センサがないことが気になっていたが、結論としては問題なし。光センサは画面上端からのスワイプで表示されるメニューで輝度調整が可能かつ、それ以前に調整の必要となった経験がない。顔近接センサの要否は通話に使っていないので判断は難しいが、少なくともSkypeのテストをした時には問題はなく、そもそも電話として販売されているのだから大きな問題はないのだと思う。

使ってみての感想は別記事で。

2015.04.19

携帯電話を買い替え 705NKから202SHへ

しばらくデバイス関連の記事を書いていなかったが、動きが激しくなってきたので再開。まずは少し前の話の、携帯電話の端末変更から。

Dscn2877

去年の12月に携帯電話を買い替えた。NOKIA N73のソフトバンク版である705NKを2007年12月から7年使ってきたが、カーソルキーがチャタリングし始めてそろそろ限界と判断。気持ち良いUIが気に入っていたので、部品取りによる修理や類似機種を含めた中古端末購入も考えたが、何年も延命できるわけではないので更新することに決めた。

当然の選択肢としてまずはスマホを検討。キャリアとの契約では、端末は安くなるものの数千円/月が発生して4年分の総額を1年当たりにすると6万円を超える負担になる。調べている内に通話定額制まで始まり、ほとんど通話しない自分の使い方ではますます不利な状況になってしまい、キャリアのスマホ案は不採用。別案としてSIMロックフリー端末とMVNOの通話対応SIMの組合せも考えたが、携帯電話は災害発生時に家族間の連絡を取るためのライフラインになるため、MVNOであるがゆえの復旧遅れを想定すると採用は難しい。まずはドコモが自社回線を復旧し、その後にMVNO向けを復旧するだろうし、MVNOのサーバはドコモほどのバックアップ体制が取られていない可能性なども考えると、リスクが大きいはず。この案も不採用とした。

ということで、スマホ機能は別端末で準備し、安くて確実な通信手段として現状のソフトバンクのホワイトプラン+メールの契約のまま、単純に機種変更することにした。必要なのは通話とメールのみなので最もシンプルな105SHを想定していたが、タイミング悪く販売終了となってしまい、後継機で防水仕様の白い202SHを購入。ソフトバンクのオンラインショップで本体、充電器、ホルダ、USBケーブルで合計 約26,000円。送られてきた端末にSIMを差替えてあっさり移行が完了した。

枯れた仕様なので、使用上の問題はないが、操作をするたびに"OK"と聞いてくるUIにはうんざり。そのまま閉じればよいことも分かってきたが、その程度の確認ダイアログを出す思想が気に入らない。移行作業としては、USBケーブルでPCに接続して編集するソフトバンクのユーティリティを使ってアドレス帳を準備し、プリインストールされている"ケータイ書籍"アプリで青空文庫を読むためのmicroSD(2GB)を準備する程度で、最低限の使い方になっている。

2015.02.25

キッチン(吉本ばなな、幻冬舎文庫、ReaderStore)

Photo

2015.02.24 読了

吉本隆明の娘ということで、"七光り"かなっと敬遠してずっと読まずに来たが、ReaderStoreに文庫が出てきたので、Storeからの定期付与ポイント消費として購入。

村上春樹のような無国籍的な平易な文章の読み易さもあって、一気に読み終えた後、若いなあっていう印象が強烈に残った。おそらく若い時にしか、こういう本は書けない。若さの文学ってジャンルがあっても良いかなと思う。

"わかってもらえない自分"というテーマは、"わかってもらえないけど大丈夫"という、その後の人生で大方の人が手に入れる結論で終わる。そこに早く気付く人と遅くまで気付かない人で人生はずいぶん違うんだろうけど、気付いた人も、それ以後の"楽さ"と、"鈍感になった自分の情けなさ"との天秤に、みんなが悩んでいるのかなと考えたりした。それ以前に最初から鈍感な人の人生はどんなものなのかとも考えが向かったが、早々に予測不能の結論に至った。

2015.02.24

五十二歳になれば少しずつ臆病者になるわ

五十二歳になった。
子供たちがいよいよ自立し始めて、生物的な死を予感するようになった。一世代が完結する感覚。

だからというわけではないのだけど、第二の人生的な意味で、これから1年間は、なるべくたくさんの記事を書いてみようかと思う。

このところは読書メモばかりになっていたが、盛り上がってきているWindows10とかWindowsPhoneについても書く予定。

«世界を戦争に導くグローバリズム(中野剛志、集英社新書)