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2004年8月

2004.08.29

仕事のやりがい

私は、酒を飲まなくなりました。もう10年近くになります。
ちょっとなめる程度は飲むのだけれど、酒気帯び運転になる量までは
飲んでいません。

それはまでは、酒好きで、飲めない癖に喜んで飲んでました。
しかし、ある日、気づいてしまったんです。宿酔いやその後しばらくの
胃腸の不調を考えると、全く合わないことに。まんまと、酒屋の
そして、広告屋のワナにはまっていたと言うことに。
それから、止めました。
人にはいろいろ言い訳をしてきていますが、真実はこれです。
ストレス解消によいとか、飲みニケーションとか言うものの、
酒の力を借りたコミュニケーションというものが、
嘘に思えてしまったこともあります。
「しらふ」でいると判りますが、時間を共有しただけであって
コミュニケーションが成り立っているとはとても言えません。
自分の話したいことを、ぶつけあっているだけです。
日頃、コミュニケーションを言う人が特にひどいような気がします。
しらふでは言いにくいことが、酒を飲んでならば許されるわけではありません。
聞く方も、異常な状態であるから許容しているだけのことです。

最近になって、それと同じことを、仕事にも感じてます。
仕事のやりがいとか、責任とか、そんなものは、結局、
雇用者側の都合からできているものなのであって、
自分が本当に求めているものではないと言うことに気付いてきました。
がんばっている姿を認めて欲しいという、淋しい個人を
会社が利用するための作り事としか思えなくなっています。

しかし、911テロの際に、必死で働いた消防士や、
戦争で亡くなった兵士達はどうなのかと問われるかも知れません。
彼らは、社会や国のために犠牲になってまでがんばったのだと。
でも、こういう人達が感動を与えるのは、結局、雇用者である
国や社会の立場で、その人達を見るからであって
本人や家族の視点で見ると、絶望的な気分になるでしょう。
外国の企業は一瞬の断面しか知らないので、判らないのだけれど、
日本企業に限って言えば、サラリーマン達は
やりがいのある仕事という集団催眠にはまっていると感じています。

気付くのが遅いよと笑われそうですが、「認めて欲しい」モードで
行きてきた私には、違うパターンで見ることはなかなかできませんでした。
やっと、違う目で会社と付き合い始めることになります。
まだまだ、先は長いです。

後半戦に向けて(宣戦布告)

今回(2004年7月下旬)の精神的トラブルについて、
上司と相談した結果、いわゆるまともな仕事、
開発や量産不具合対策は、今後とも担当できないという結論となった。

正直言って、おかしいのは自分ではなく会社であり、異常な会社に
合わせられなかったことが、精神に異常を来した原因だと考えている。
その点で、私は被害者である。直接に迷惑を掛けた上司、同僚、部下の方々には
申し訳ないとは思うが、以下の点について問題提起することもなく、黙々と
仕事をこなしている人達は、私も含めて、間接的に加害者であるとも言える。

実質上、「できるだけ早く」とだけ設定されている納期が最優先される異常な開発。
初めから計算を終らせる時間がない日程を基にして、ろくに計算もせずに、
「類似設計だからこんなもんやろ」で図面を作る。
一発合格しないと間に合わない計画に乗った品質確認を行なって、
失敗してから、「なんで計算していないのか」と責められる非合理。

開発が終った後、海外から「こんな車では売れない。性能も、価格も。」と
文句を言われると、戦いもせずにやり直しを始める設計部門、工場部門。
このやり直しのエネルギーを、開発の初めにつぎ込めば、どれだけ
良い製品を開発できたか?

量産不具合では、「ついこの間、○○で×億円出した後に、そんな話は
できないぞ」と、設計ミスを隠し、他部門へ責任転嫁しながら、
うその計算をでっち上げる。
誰もはっきりは口にしないが、「(社内外を問わず)素人はだませばよい」という
暗黙の文化。「余計な摩擦を排して、早く対策案を認めてもらうことがお客様の
ためになるのだ」という説明が、この文化を象徴している。
「そんな話をして、心配させてもしょうがないだろう」も同じ考え。
少し違うが、孔子の「知らしむべからず、寄らしむべし」にも似ている。
自分達が、選ばれしものであると勘違いしているのか?
この理論の延長で、社内を、役所を、そしてユーザをだますのか?
その中で、三菱ふそう顔負けの身勝手な理論がまかり通る。
「こういうストーリーの方が通りが良くないか?流れがわかり易いぞ」
こんな意味に使われる「ストーリー」という言葉がかわいそうだ。

そして、最大の問題は誰も文句を言わないこと。戦わないこと。
「戦っても仕方ない。戦ってはいけない。」ここは、そういう職場なのだ。
黙々と言われたことをこなすのが、無能なサラリーマンだ。ここには、
考えてる人間はいない。そういう意味で、真の技術者もいない。
ガス抜きとして、「おかしいんだけどね」と愚痴っても、何も始まらない。
そういう私も、戦って来なかった一人であることを恥じる。

しかし、この機会を活かして開発業務の改善に専念することで、仕事のやり方を
改善して、海外競合他社と同様に、設計者も定時で帰れる文化を作り出したい。
この実現を、後半戦の目標にしたい。

にわとりが先か、卵が先かの議論。
--目の前の不具合の対策に全力を尽くしても、低品質の開発を続けたら
不具合は出続ける。口先で言っているとおり「開発で品質を作り込む」ことが
最善なのだ。
->標準化、設計手法、品質確認方法の改善によって開発自体の品質を上げることが先。
->また、馬鹿な納期、要求に対して戦うことも必要だ。

この話をすると、そうは言っても目先の不具合には対応しなければならないという
議論になってしまうが、今、私の置かれた状況は幸いにして設計品質の改善に集中できる。
年度内を目標に、見える改善効果を出して「どちらが先なのか」について理解させる活動を
行ないたい。
・先ず、5%の理解者
・次に、20%の活動者
・後は自然に普及していく。

10年後の設計手法をイメージして改善案を作る

長期的な目標

設計のやり方を改革して、欧州企業のように、仕事以外の時間(生活、家族との時間、
社会のための時間、自己啓発の時間など)を充実できる時間の余裕を作り出す。
(だだ、「家族のため、社会のために早く帰ろう」と訴えても、人は付いて来ない。)

勉強
1.標準化の手段
標準のあり方が、昭和30年代から、検索方法改善以外は全く進歩していない。
2.知識集積の手法(ナレッジナビゲーション、暗黙知の集積)
3.開発業務の効率化手法
いわゆるITではなく、地面に足の付いた改善方法
CADの個人配布を基に、改善ができないか?
図面電子データから数値データを読みとるソフトウェアの開発

2004.08.03

心療内科再び

久しぶりに心療内科へ行きました。
業務の復帰以来、やる気が出なくなったこと、業務への恐怖感から
会社へ行けない日が出てきたことから、病気の状態なのかどうかの確認、
また必要な薬を出してもらうのが目的です。

結果は「もう、半年もひきずっているところから、軽度のうつ病だろう」との
診断でした。仕事以外についても、気力が出ない話をしたことも診断を
補強したかもしれません。
毎度のことなのだけれど、逆誘導尋問で、患者のリクエストに
応えているような感じもするのですが、少なくとも境界線上ではあるようです。

薬は、これまでのレキソタン2mg夜1回に加えて、トレドミン25mg夜1回が
抗うつ剤として出ました。Webで調べると新しい薬のようで、人によっては
かなりひどい吐き気が副作用として起きるようです。今晩はどうなるかな?

これで、名実ともにうつ病になったのだけれど、これからどうなるのかが
全くわからない。自分でもどうしたら良いかが判らない。

・仕事は制限してもらっているが、一体いつまで?定年まで?
今の職場にいる限り、再び復帰の要望がくるはず。いつになったら本当に
復帰できるのか?今のような綱引きをいつまでも続けるわけにはいかない。

・本質的には、現状の職場にいる限り問題は解決しない。
職場が変わるか、自分が変わるか?
職場は変わらない。最近は確信してます。
自浄能力はありません。強力なリーダが現れて、やるべき仕事を絞って負荷を減らし
更に、「(社内外を問わず)素人はだませばよい」という文化を変えていかないと
私がまともに働くことはできそうにありません。
だからと言って、その改革者に自分がなることは不可能です。
そんなことができるならば、心療内科に通ったりはしませんから。

・それでは転職しますか?
家族を抱えて、リスクを背負って、一体どこへ? 行った先は幸せか?
ぬるま湯な職場は、役所や学校などまだたくさんあるのだろうけれど
そこで新たな要因でトラブルを起こす訳には行きません。
給料も下がることは間違いないだろうし、最後は「仕事が好きだから」に
賭けるしかないことになります。
仕事の内容ならば、一部を除けば現状でも十分満足できています。
問題は、「うそ」なのだから。

・転勤を願い出る?
これも、「プチ転職」みたいなものだから、本質的には転職と同じなのだけれど、
リスクは断然少ない。でも、効果が全然ないかも知れない。
同じ問題を引きずってきてしまう可能性は非常に高いが、行った先によっては、
効果絶大かも?ライセンスや翻訳の仕事でもできたらなあ?

・いっそのこと大学院へ
転職するのならば、大学院へ行きたいです。
この年で今更とは思うのだけれど、人生の後半戦を仕切り直すならば、
そのぐらいやらないと意味がないような気がします。
そして、思いきり文系な研究の仕事をしてみたいです。社会科学とか、歴史とか。
まあこれはおとぎ話の範囲かも知れません。

とにかく、明日、上司とどんな話をしようか?

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