« 2004年9月 | トップページ | 2005年1月 »

2004年12月

2004.12.29

マスコミのあり方

インド洋の津波はとんでもないことになってます。
立続けの異変は地球が怒っているとしか思えません。
わずかながらもどこかに寄付をと思っているうちに
どこに送ればいいのか判らなくなってしまいました。
被害者の数は最悪では10万人以上と報道されており、小さな国なら
なくなってしまうようなものすごい数です。僕のつたない表現力では
思いが表せません。何をどうすればよいのか?

しかし、いつものこととは言え「日本人の安否」に終始するマスコミには
悲しくなります。言葉の問題などで、現地の人たちの悲惨な状況を
詳しく伝えるのは難しいのだろうけれど、もう少し何とかならないのでしょうか?

伝えるものの内容で、マスコミやそれを受け入れる読者、視聴者のレベルが
判ります。国内の話ですが、全国で60人もの犠牲者が出た台風の
翌朝の新聞の1面が対照的でした。

全国紙 A紙
 犠牲者数が大見出し。中見出しで各地の大きな被害の状況を紹介。
地方紙 B紙
 人的には1人の被害もなく、浸水も床下程度だったにも拘らず、
 県内のある地域が大規模に冠水したことを示すためだけに、
 1面の1/3もある大きな写真を載せた。
 しかし、全国の犠牲者数はベタ記事で良く見ないと気付かない程度。
地方紙 C紙
 全国の犠牲者数が大見出しだが、記事は県内の物損状況が中心で、
 A紙とB紙の中間。

地域の重要情報を優先して伝えるのが、地方紙の役目なのかもしれません。
全国情報はテレビで見ているから、地方紙には必要ないのかもしれません。
しかし、私企業とはいえ新聞発行という公共性の高い事業を行っている会社は、
その地域の人が何を知るべきかを考えて、伝えるべきことを考える必要があります。
「我が家の10大ニュース」ではないのですから。

明かしてしまえば、B紙は僕のなじめなかった引越し前の県の最有力紙です。
それ以前から、変な地域、変な県、変な新聞だとは思っていたのですが、
ここまではっきり出るとあきれてしまいます。何かにつけ「みんなのため」よりも
「自分のため」が優先する地域性には参っていました。

会社の中でも、この県の事業所の評価はあまり良くなく、どこからトップが来て、
何をやってもうまくいかないのも、「当然だよな」とも感じています。小さな山を
1つ越えただけでこれだけ変わってしまうものなのか?幕藩体制の影響?
戦災の有無?こんなことに気付いている人は、他にもいるのでしょうか?
それとも生まれた土地への身びいきが過ぎるのかな?

2004.12.28

足羽山の博物館

ずいぶん久しぶりに足羽山へ行きました。福井市街の南にあって、
その全体が公園になっている小さな山です。子どもの宿題に
足羽山について作文(?)を書いてくるというのがあって、彼は
何年も前に行ったことがあるものの、そんな記憶では書けるはずもなく、
実際に行ってみようということで出かけました。なぜ足羽山なのか?
という先生の意図は良くわかりませんが、社会か国語での
身近な場所について調べるというような課題なのでしょう。

僕にとっては、最も身近な山、山というより公園という印象です。
幼稚園や小学校の遠足やら、休みの日に猿山のサルとツキノワグマしか
いない極ミニ動物園(「しか=鹿」もいたかも)に連れて来てもらったり、
山の西側にある墓地への墓参りなど、子ども時代の重要な場所の
ひとつでした。

街側から登った入り口に、市立のこじんまりとした自然博物館が
あったのですが、いつの間にか立派な建物の「自然史博物館」に
変わっていました。昔の博物館には、入り口にたぬきや鳥の剥製を使った
「足羽山の四季」というジオラマや、いろいろな鉱石の展示などが
あったりしたのを覚えています。
しかし、どれもこれも、今思えば大した内容ではなかったはずですが、
子どもの僕は、何度行っても展示を非常に楽しく見ていた記憶があります。

もっと印象的だったのは、屋上の展望台からの福井市内を望む
360度の景色でした。少し風の強い天気の良い日に、目にごみが
入ったのもかまわずに、地図のとおりの景色を確かめていたのも
よく覚えています。そしてこういった経験が、いまだに「理科、社会への
好奇心」のかたまりである自分の原点のような気がするのです。

そんな博物館がなくなっていたのは寂しかったのですが、
今もあの展示が残っていたら、今はやりの「昭和のジオラマ」そのもの
でしょうから、仕方のないことでしょう。思い出の中のほうが素敵なものと
して残せるから、僕にとっては幸せかもしれません。

今日は年末の休みで中には入れず、展示も景色も見ることが
できなかったのですが、この次の機会が楽しみです。また、新たに加わった
「史」が何を意味するのかも気になります。懐古趣味には答えてくれない
だろうけれど、僕が昔、経験したようなささやかな感動のようなものを
子ども達にも与えてくれる場所であってくれることを期待したいです。

2004.12.27

カウンセリング

先日、会社で管理職向けメンタルヘルス講習会がありました。部下に異常が
起きたときの上司の対処方法についての講習です。異常が起きている本人である
僕が参加しているのは変な話ですが、解職願いを出しているとは言え、会社から見ると
今だに管理職なので召集が来ます。さぼっても良かったのですが、
会社の考えていることや世間の流れを知りたくて参加しました。

今年は、自殺が労災に認められた1件と、もう1人の自殺者が出たため、
会社もあわてているようです。僕の職場でも、僕以外にも大勢の異常者がいて
これまでに1人が退職、2人が長期欠勤、今は治った人(その人が本当に
病気だったとは信じがたいのですが)、薬を飲んでいるらしい人などが合計約1割。
それ以外にがんで手術をした人や何やかやを含めると、2割近くの人が、何らかの
異常をかかえた状態という最先端を行っている職場ですから、
会社の認識は正しいと言えそうです。

内容は、「おかしくなってきた部下に対しては、まずは上司がカウンセリングもどきで
対応せよ」ということが基本で、面談の仕方などノウハウ的なものです。
その話から僕が得た結論は次の2点です。
(1)問題は本人にある。本人が「気付く」べくカウンセリングを通して
 本人に考えさせることが解決法。
 →会社が変わるつもりはないから、お前らが会社に合わせろ。
(2)うつ病は基本的に完治しない(「完治することもある」という表現。)
 
(1)は、精神科医にも言われたことがあります。遠まわしに「おかしいのは君だ」。
これが社会全体の本音なのでしょう。というかそうしないと、組織が成り立たなくなる、
全ての個人に合わせる組織は作れないというのは真実かもしれません。
病気という扱いになっているのも、「おかしい」からだということでしょう。
でも、おかしくなった人にとっては、あくまでおかしいのは組織です。そこから
始めないと、その人はまたいつか、矛盾に突き当たって倒れることになります。
「判ってないよな」というのが実感です。

(2)については、講師の産業カウンセラが本音を漏らしたものだと思います。
問題のある環境にいる限りは、必ず同じ状態に陥るのは当たり前でしょう。
治った人(と言っている僕の職場の人も含め)というのは、本当に、いわゆる
「心のかぜ」だった人であって、もっと深い所でつまづいた人=「心のがん」の人は
簡単には治らないということを言っているのだと思います。

とまあ、こんな風に手の内が判ってしまうと、これまでの心療内科の先生から
カウンセリングを受けなかったように、転院先の先生にもカウンセリングは
受けたくないなという気分になってきます。話して楽になるというのは、確かにあるとは
思うのですが、「職業として話を聞いてやっている」人に真剣に話をする気には
なれません。それを判っていても、そんなカウンセリングが効くのだとしたら、
その人は相当に孤立していて、それに参っているのだろうなと同情したくなります。
孤立が心の平安の糧となる僕とはまったく違うタイプの人なのでしょう。
職場の「治った人」もこういうタイプの人で、カウンセリングが効いたようです。

では僕はどうやって解決するのか?こうやってあれこれ書くことが、カウンセリングの
代わりになっているのかもしれません。何かのきっかけが必要な感じが
しているのですが、それを待っていればよいのか、探すべきなのか?
もうつぶれたくはないという思いから慎重になってしまっています。
「悩み続けた日々がまるでうそのように、忘れられる時が来るまで心を閉じたまま...」
そんな日は来るのだろうか?僕は「治る人」なのだろうか?
「何もいいことがなかったこの街」からは思い切って脱出したのだけれど。

2004.12.26

人を支える力が欲しい

身近な人に、いわゆる子供時代の虐待を受けた人がいます。
最近になって、親からのマインドコントロール状態から脱出を始めて
今まさにもがいています。私とは「類は友を呼ぶ」と言うか、
弱いもの同士が引き合うのか、うまく書けないのですが、
「弱さへの理解がつないでいる」ような感じがしています。
でも、お互いに最近になるまでそれぞれの問題に気付かずに何年も過ごしてきて
今、ほぼ同時に困難な状況を迎えているのが不思議です。
振り返ってみると、こうなるべくして出会って、今を迎えたという感じもしています。

でも、僕にはその人を助けてあげる力が足りません。僕が困っている時には
大いに助けてくれて、今も支えになってくれているのだけれど、
今度は僕がどうやって助ければいいのかが、正直言ってまったく判りません。
僕の問題は他人との問題だから、基本的には経済の問題として解決が可能です。
大きなリスクを背負いますが、転職したり、引っ越したりで、相手から逃れることが
可能です。

しかし、親からは逃れません。選ぶこともできません。
そんな苦しい状態に置かれている人に、語る言葉が見つからないのです。
中途半端なアドバイスや励ましでは、逆に「判ってもらえない」という
孤立感を与えてしまうかも知れない。でも、何も言わないでいることもできません。

ずっと以前、その人が別の苦しい状態にあった時に、僕がその状態から
引っ張り出したことがあります。その時に出せた力を、今、もう一度出したい。
でも、逆に支えてもらっているような今の僕からは、その力が出せない。
あの頃を思い出してなんとか力を出さなければ!という思いを伝えることが
精一杯の努力なのかもしれません。情けないけど...

2004.12.23

ストレート携帯電話

今朝の新聞のチラシを見ていたら、モトローラからかっこいい
ストレート端末が出ているではないですか!
http://www.vodafone.jp/japanese/products/model_3G/v702smo/index.html
今のプリペイド端末からの乗り換えを真剣に考えましたが、
Web情報では「使いにくい」との評価。店頭では触ってみたいとは思いますが
きっとだめなんだろうなあ。海外メーカの端末は日本語対応がいまいちで
インターフェイスも練られてないものが多いようです。
でも、出張時のごくまれなメールを除けば、電話としてしか使わないのだから
その辺は何でも好いような気もします。

もうひとつのノキアの端末は芸達者のようです。シンビアンOSの
アプリケーションが動くとか出ていますが、時々メモリ不足で凍るようなので、
やはり不安定なのかな。次の世代位にはよくならないかな?

しかし、国内メーカはフリップばかりでつまらない。Docomoの小さいやつは
ありますが、あれではおもちゃです。
本当は、数年前の海外出張で現地の人に借りた、何の機能もない
重たくて大きいモトローラの端末が渋くていいんですけどね。
西オーストラリアの金鉱山から日本に「つながってる」感じが
たのもしかったです。
昔、Docomoがエグゼクティブ向けとか言って出していた渋い端末のように
大人向けのものが出てほしいです。でも、そういう端末を手にしてしまうと
買い換えなくなっちゃうから出ないんだろうなあ。

なんだかんだ言っても、今の2か月3,000円のプリペイド端末が以外に
優秀なのかもしれないです。このままいくか!

こういう、デジタルガジェッツやOS、アプリケーションの話になると
俄然元気になってしまうので、本当はただのさぼり屋なのかもしれないと
心の片隅でびびってます。

2004.12.22

あいつが許せないからか?

年が明けると、この不調も足掛け3年目に入ります。
何が原因なのかは、今ひとつ判っていないのだけれど
最近、イメージが膨らんできたものがあります。それは、職場の「ある人」。
そいつと直接対決をして、怒りをぶつけてやれば立ち直れるかな?という
感じがしてます。でも、きっとその結果、職場の全てが嫌になって会社を
やめるだろうなとも感じていて、すぐには決行できそうもありません。

僕は自分から見える範囲でのその人の言動から、職場に数少ない
「判ってる人」だと評価していました。でも付き合いが長くなってくると
化けの皮が剥げたのか、置かれた立場が苦しくなったのか、
いわゆる「変節」をしたと感じています。一昔前なら「転んだ」。
もっと言えば、「だました」、強烈に。
それが、職場でのストレスの最大のものだったように感じています。

今は直接には関わっていないのですが、それでも遠まわしに
ストレスは加わります。すると、てきめんに早朝覚醒が起きてしいます。
あれだけ微量の薬では、本当はあまり効いていなくてストレスが減っている
ことが、一番の薬になっているんだろうなと感じます。

もっと直接的にストレスの元になっている人もいるのですが、「もしかすると
その人も同じ人からのストレス被害者なのかも?」とか、
どこまでお人好しなのか、自分でもあきれてみたりします。

でも、本当に一回やってみたいね。ここに詳しく書けないのがもどかしい!
シミュレーションを文章に書いてみるといいかも?

2004.12.21

心療内科を探す

これまで通っていた心療内科が、完全に家の反対向きの位置になって
しまったので、近くで探しています。今の先生からは2件紹介されているの
ですが、この町でWebを公開しているのは、どうもこの2件だけなので、
先生もおそらくはWeb情報なのでしょう。
どこがいいのかは皆目見当がつきません。今の先生も、電話帳から
「駅から近いところ」というそれだけで決めたくらいですから。

片方の先生は、今も研究発表をしているような先生なので先端技術には
詳しいかもしれないが、専門バカ(失礼)かもしれない。Webで、経歴を
自慢したいタイプだとすると、僕には合わないような気もする。
もう一方の先生は、遠目の写真が出ていて、カウンセリング中心のような
ことが書いてあります。今の先生はどちらかといえば薬中心な感じなので
変えてみるという意味では、この先生が良いのかも?

どうも心療内科というものが「雨後のたけのこ」状態になっているみたいです。
治療方法が出てくると、その病気が流行します。花粉症の次がうつ病みたいですね。
鼻が悪いので、一時期は「無呼吸ではないか?」という心配もしてみたりしました。
製薬会社のペースに乗せられているのでしょうが、病気は最先端を走ってます。
病気であることで安心しているのかもしれません。
「調子が悪いのは病気のせい」という、言い訳ばかりの人生かも?

2004.12.19

やっと再開

3ヶ月以上も空いてしまいました。
この間、町内会でつまらんことでもめて、引越しを決意して、家を探して、
契約やら、新しい借金の申し込みやら、元の家を売る依頼をするやらしてから
引っ越して、電車通勤を始めて、前の家が売れて、前の家の借金はなくなって
なんとか借金が振り出しに戻りました。やっと落ち着いた感じです。

いろいろ悩んだけれど、「決断は間違ってなかったな」と振り返ってます。
職場が遠くなった分、体は少しきついです。でも、代わりに毎日2時間ほど、
ゆったりとした一人の時間ができました。家でも、一人になることは
可能なのだけれど、どうしても「家族のために時間を使ってやらねば」という
義務感があって、連続した時間をおおっぴらには取りにくいのですが、
電車の中では一無名人として、大勢の中の孤独を楽しんでます。
「あほ高校生」どもがやかましいのには参りますが...

もうひとつ、時間の制約を設けることで、無制限に会社に奉仕する生活から
脱却したいという願いがあります。つまり、無茶には働けないような形に
してしまうということです。これは、この先、回復していって忙しくなった時に
体がきつくなるリスクはあるのだけれど、そうなってもがんばらないことを
貫くための防波堤として形を作っておくという狙いです。そんなにうまくいくか?
という心配もあるのですが、後半戦を自分のために生きるべく挑戦してみる
ことにしました。

これ以外に、「家族に与えてしまったストレスをどう調整していくか?」という
大きな問題があるのだけれど、それはまた後日。

« 2004年9月 | トップページ | 2005年1月 »