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2005年9月

2005.09.25

動物供養祭

今日は、動物の葬儀屋さん主催の、動物供養法要に行ってきました。
動物といっても、保健所で殺処分された動物と道路や鉄道で事故死した動物です。
以前から、どこかにあるであろう慰霊碑にお参りしたいと考えていたのですが、
お寺で尼さんがお経を詠むような、きちんとした形の法事に参加することができて、
やっと肩の荷が降りた感じです。

というのは、中学3年の時に、父親と犬を捨てに行ったことがあるからです。
その犬は、大阪にいた時に飼い始めて、かわいがって飼っていたのですが、
父の転勤で大阪から福井に引っ越した後の冬に、雪、特に屋根からの落雪に対して
ノイローゼのようになって、壁のトタンの波板をかんで剥して血だらけになったり、
落雪の音を避けて入れてやった、縁の下を床のはりに無闇に頭をぶつけながら
走り回ったりして、もうどうしたら良いのか判らなくなってしまい、
父が決断して造成地に捨てに行ったのでした。

おそらくは、のたれ死んだか、保健所に捕獲されたかで、
無惨な最期だっただろうと思うと、なんでそんなことをしてしまったのかと、
後になってずいぶん後悔しました。
今思えば、家の中に入れてやるとか、いろいろ解決策はあったのかもしれませんが、
当時は、犬は外という考えしかなく、新しい土地になれる苦労と、
僕の受験もあって、家族全体がくたびれていたせいだったのかなと感じています。

法事に行ったからといって、犬の命がもどるわけでもなく、あの犬のうらみは
消えることはないのですが、せめて形だけでも、今の思いが届いてくれたらと
願っています。


doubutu_kuyou.JPG

2005.09.24

セカチュー

この前書いたとおり、「世界の中心で、愛をさけぶ」を読みました。
「前にもこんな話があったような?」という感じ、
また、「もうひとひねりが足りない」という感じで、
なんでベストセラーかが判らないというのが客観的な感想なのでしょう。
ベストセラーになったのは、売るため、また「本離れ」を止めるための
プロジェクトチームが全力を尽くした結果なのかもしれません。
特に、タイトルの力は大きかったように感じます。
また、「分かり易いことが良いこと」の、今の時代に合っていたことも
効いているのかもしれません。

死後の世界はなく、亡くなった人はそれでおしまい。
でも、残された人の思いのなかにだけ命のようなものがつながり、
残された人が亡くなるとき、全てが終わる。
というのが、僕の死に対する感覚です。
お墓が「三代で無縁になる」というのは、その結果なのだと考えています。
この小説での、「愛する人の死を受け入れる」というテーマとは別の話ですが、
似たような感覚の人もいることが判って不思議な感じです。
幼い時に「死」をうまく受け入れられなかったままの僕は、
主人公と似ているのかもしれません。

話は変わって、この本を読んでいて一番、心を動かされたのは、病室の場面でした。
末期がんの友人を、最初で最後に見舞った時の病室の痛々しさと重なり、
また、その直後の葬儀の空虚感も含めて、この場面が重く深く突き刺さって、
しばらく読み進めなくなったほどでした。
泣くことは心のリセットと言われましたが、こういうリセットは
勘弁してほしいというのが正直な所です。

賛否両論いろいろのようですが、僕は「賛」に一票です。

と、書いたのですが不完全燃焼な感じもあるので
後で追記するかもしれせん。

2005.09.13

新しい携帯から実験

携帯を替えて、カメラが付いたので、写真を撮ってみました。
僕の机です。
050906_1144.jpg

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