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2012年4月

2012.04.27

Windows8はディスプレイを売りたい?

Windows8の発売が秒読み体勢になった。Microsoftのシノフスキーさんのインタビューによれば、「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」とのこと。

Appleの結論はタッチするのはダブレットまで、画面の大きいMacはトラックパッドだったのだが、Microsoftの結論はすべての端末で"タッチ"ということみたいだ。でもPCのディスプレイでタッチは現実的でない。特に大画面ワイドディスプレイの場合は座っていては画面の端まで手が届かない。そうでなくても腕がだるくなるのは間違いない。

おそらくMicrosoftの人たちは散々触っているのだろうから、そんなことは百も承知なのだと思う。それでも"タッチ"を言うのは、Windowsエコシステムのハードウェアメーカーへの配慮なのかなと思う。タブレットに移行する流れが本物ならば単価は下がる。PCメーカーもディスプレイメーカーも売れなくなる。大物ハードを売るための方便が"PCでもタッチ"だと思うのだ。

一方、Appleの選択したRetinaディスプレイもハードの買替えを促すが、おそらくMacにオプション設定されても数万円か、10万円を超える価格になって、本格的な普及にはSSDのように数年かかるだろう。Windowsエコシステムではそんなに待っている時間はない。IPSディスプレイでも2万円を切るものがある現状では、一刻も早く買替えをというのが切実な願いだろう。

と、考えてみたのだがどうだろうか?

別案としては、机のような大型タブレットを緩い角度で傾けて使うようなハードが出てくるのかもしれないとも考えるのだが、物を落としたら割れるとか、机が狭くなるとかネガティブなイメージしか思い浮かばない。

今のPCの姿は25年もかけて作られてきたものだから、そう簡単には変わらないのではないかと感じていて、タブレットの時代がくるという話にもなかなか納得できないでいる。

2012.04.22

シダレザクラは漢字

しだれ桜の季節になったので書く。

去年の夏頃に初めて"シダレザクラ"を漢字で書くと"枝垂桜"だということを知った。それまでは、"シダレ"という音感が"しなだれる"という言葉の変形だとばかり思っていた。そのためシダレザクラは園芸品種として外国で開発されたものが導入されたような印象を持っていたのだが、漢字の名前に気付いてしまうと目の前の"シダレザクラ"は"枝垂桜"に変わってしまって漢字の字面が強烈な純和風の花木に感じてしまうのが不思議だ。

2012.04.18

万年筆を使ってみる

ascii.jpの衝動買い記事にプラチナの#3776が紹介されていた。インクの乾き防止機構の工夫は面白いので、同じ機構を使っている廉価品のPreppy(プレピー、210円)を買ってみた。ブルーブラックのインク付属のものを選択。0.3mmという太さ表示だが、昔、使っていた万年筆と同等レベルのようで日誌記入にちょうど良い。

持ち歩きや保管時にはペン先を水平よりも下向きを維持しないとインクが乾いてかすれるという万年筆共通の問題と、書き始めの5mm程度がかすれたり、連続で書くとインク切れが起きるというようなコスト低減に起因すると思われる問題があるが、まあまあ快適に使えている。

毎日使うならば乾燥防止機構も不要で、書き味やかすれの発生状態は古い万年筆の方が良かったように記憶しているのでそちらを復活させてみようかと思う。また、追加で探したWeb記事に万年筆クリーナーが紹介されていて、それを使えば古い万年筆もより良く再生できるかもしれない。

・その後の追記
Preppyの付属インクを使い切った後、古いプラチナの万年筆を水に漬けて掃除(結局、クリーナーは高価なので買わなかった)した後、黒インクを入れて使ってみると非常に快適。Preppyよりもやや細字でペン先が軟らかく、低筆圧の自分にぴったりだ。

しばらく使ってインクがなくなったので、もう一度、Preppyに黒を入れて再度使おうとしたが、古い万年筆に比べてタッチが粗過ぎてもう使う気になれず、古い万年筆を使うことになった。

三四郎(夏目漱石、青空文庫+705NK)

たしか3回目。ようやくイメージがはっきりしてきた。

新時代の女性像が本来の主題なだと思うが、今の基準ではどこにでもいるような女性像なのは仕方ない。今も読まれるのは、田舎から都会に出てきた学生の心の変化というもうひとつの主題が受け入れられているからだろう。当時の大学生はエリート中のエリートだったはずなのだが、小説中ののんきな空気感は当時がそういう時代だったからなのか、学生というモラトリアム期間の特性は変わらないということなのか?

一方、女性観について、"20代前半では女性のほうがずっとしっかりしていて同年代の男性には魅力を感じるはずがない"というやり取りは、今でも当てはまるかなと思う。そういう意味では、新時代の女性像も男性から見た虚像だったのかもしれないと思う。

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