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2015年10月

2015.10.24

Windows熱中の終わり

2013年10月からWindowsに熱中する2年間を続けてきた。
Windows8.1プレビュー、Surface2、Office2013、Lumia636、Insider Preview デスクトップ、Insider Preview Mobile、Windows10。さらには、Visual Stuido 2013 ExpressやCommunityを使った開発作業の体験(web記事をなぞる程度)もやってみた。Windowsプラットフォームの今を体験するとともに、その変化する姿も体験できた。

2000年頃から続くPC-Unix(FreeBSD、Linux、OSX)についての10年以上の経験には及ばないものの、Windowsの今とその内部の仕組みの一面が理解でき、食わず嫌いだったこのプラットフォームの良さも少しは理解できるようになった。PowerShellを使えばオブジェクト指向のスクリプトが書けることや、設定がGUIであることに起因する作業記録の取り辛さも、クリッピングツールと自由なフォーマットで記録できるOneNoteを組合せることによって、以前よりもずっと楽になっていることも分かった。また、素人にやさしいプラットフォームの安楽さに以前は不足していた安定感が加わっている点も魅力になっている。

さらには、Microsoftの本業となりつつあるクラウドサービスの改善も著しく、OneDriveとOutlook、OneNoteが快適かつ持続性に不安のない作業環境になっている。

でも、Nadella CEO自身が昨年述べたように、モバイルプラットフォームを含めたWindowsのシェアは14%まで低下し、現在も低下が続いている。かつてのMacOSのように特定分野(Windowsにとってはビジネス)向けのニッチな選択肢として存続するのだろうけど、本流に戻ることはなさそう。昨年までは、IEの時のように粘り強くモバイルWindowsを立ち上げるかもと思っていたが、Lumia事業の大幅な縮小やiOS/Android優先の開発方針を見る限り、プラットフォームの覇権は争わない方針は確定しているようだ。

Unixをまねて生まれたMS-DOSをベースに、MacOS(あるいはXeroxのAlto)をまねることで一世を風靡したが、結局はUnixには勝てなかったという結果になった。デスクトップWindowsが繁栄し過ぎたことが硬直を招いたことが主要因だけれど、オープンソースの眼の数の多さ、それも良質な眼力に破れたという見方もできるかもしれない。

このままWindowsを追いかけるかと自問してみると、"もうお腹いっぱい"だと思う。安楽の地であることは間違いないが、これ以上、知識を吸収する気力が出ない。ちょっとしたスクリプトを書きたい時に、書きながら考えるという訳にはいかず、"まずはGoogle検索したり解説書を開いて..."、となってしまう点を解消するために努力しようと思えなくなっている。それだけ記憶力も頭の柔軟性もなくなってきたということ。現在の勢力分布からすると、先にUnixに力を注いだことは幸いだったと思う。プラットフォームの良し悪しよりは、好き嫌いの問題なのかもしれないとも思う。

<追記>もたもた書いているうちに、AndroidとChromeOSの統合の話が出てきた。これでデスクトップでのUnix優位が確定したと思う。

毎日、朝一番に海外記事を追いかける生活は、楽しかったが、正直言って疲れた。もう少し頭を休ませる方向で次のテーマを始める予定。とはいえ、即時に環境を移行できる資金も頭のリソースもないのでしばらくはWindowsを使い続けることになる。

2015.10.19

人間の土地(サン・テグジュペリ、堀口大学訳、新潮文庫)

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2015.10.17読了。

勃興期の郵便飛行操縦士として体験した、空の素晴らしさと怖さ、砂漠の魅力と遭難の危機などを通して、人の生き方への様々な示唆を与えてくれる。堀口大學さんの訳が名訳すぎるためか、ちょっと難解な部分も多いが、詩とエッセイの中間のような文章にはどんどん引き込まれる。

表紙は宮崎駿さんのイラストで、巻末には短文と地図が添えられていて、お得感もある。宮崎さんの文章(1998年)は、その後の作品である"風立ちぬ"へのつながりが感じられて、録画を観た少し後というタイミングも幸運だった。

2015.10.05

京都(黒川創、新潮社)

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2015.10.04読了。

在日、非差別地区そしてヤクザという、関西での生活では無意識レベルに意識しているが話題にすることが避けられるテーマを、ストレートに扱った小説。発売直後は物議をかもしたためか、しばらく紀伊國屋Webストアでは在庫切れになっていた。

おそらくは著者の自伝的な内容で、当事者ではないが、そういう人たちとのかかわりの中で生きてきた人生をつづっているのだと思う。

4つの短編からなっているのだけれど、どの話も自分にもこういう体験があったような気がする。でも細かい昭和の描写に関するものを除けば、ドロドロした人間関係など、そんな経験はしているはずがないのだが、そういう既視感から、身近な出来事だったと感じさせられる不思議な小説だった。それは思春期から青年に至るザワついた時期を関西で過ごした人たちに共通する"友達の友達"的な体験なのかもしれない。

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