日記・コラム・つぶやき

2016.04.04

いつか歳をとる日まで

中島みゆきの「ひとり」に

いつか 遠い国から
長い手紙書いたら
封は切らず 隠しておいて
いつか 歳をとる日まで

という一節がある。

つい最近になって、自分が「いつか歳をとった人」に
なってしまっていることに気づいた。

1984年の曲なので大学4年。「50歳を過ぎた自分」は全くの他人だった。

余談だが、「ひとり」の歌詞を確認しようとして
歌詞サイトをいくつか見てみたが、どれも正確でない。
(個人サイトは正確だが、Lyrics Masterでは取り込めない)
歌詞を眺めながら、やっつけ仕事で適当に打ち込んだように見える。
おそらくは、曲を聞いたこともない打った人の言葉遣いで
書き換えられている。

2015.05.11

おいしいコーヒーを求めているわけではないのかも?

コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを一人で飲みながらふと思った。もしかすると、おいしいコーヒーを飲みたいわけではないのかもしれない。コーヒーを飲みながらちょっとしたおやつをつまんで家族と話をする、その時間が好きなだけ。人と飲んでいるコーヒーは集中していないから、おいしいかどうかさえ記憶が怪しいが、それでもゆったりと過ごした時間は豊かに感じる。

一人で飲むコーヒーはハンドドリップで自己最高記録級にうまく入れることができた時であっても、おいしいと感じるのは最初の一口二口だけで、いつの間にかコーヒーから意識が離れてWebサイトを読み込んでいたり、机の周りの探し物を始めてしまったり、集中して飲むのはなかなか難しい。また、外で飲んだコーヒーでも、これは最高にうまいと最後に感じたのはいつだったか全く思い出せない。特別なマニアではないものの、やっぱりより良い豆でなきゃ、挽きたてでなくちゃ、ハンドドリップで頑張るぞと思っていた感覚は、自分の外側から頭の中にだけ入り込んだ情報だけで、今、落ち着いて考えてみると本当はコーヒーはそれほど好きでもないのかなとさえ感じ始めている。

一方、日本茶については、高級ではないもののそれなりの茶葉を使って自分で失敗せずに淹れたものがおいしいことがちゃんとわかるし、銘柄の味の違いにもそれなりに自信が持てる。結局のところ、日本の、それも田舎暮らしでは本当においしいコーヒーを経験できないままに40年近く過ごしてしまったというだけのことかもしれない。

という結論に至った途端に、"加齢により普段使わない味覚や臭覚が鈍感になってきたのではと?”いう疑問が浮かんでドキリ。でもそれならそれで、余計なこだわりがなくなって楽になるなということにして、深追いはしないことにした。

2015.02.24

五十二歳になれば少しずつ臆病者になるわ

五十二歳になった。
子供たちがいよいよ自立し始めて、生物的な死を予感するようになった。一世代が完結する感覚。

だからというわけではないのだけど、第二の人生的な意味で、これから1年間は、なるべくたくさんの記事を書いてみようかと思う。

このところは読書メモばかりになっていたが、盛り上がってきているWindows10とかWindowsPhoneについても書く予定。

2013.03.02

ようやくマイナンバーが動き出した

幾多の障害を超えて、ようやくマイナンバーが実現しそう。20年遅れたなあとは思うが、これでやっと役所の電子化が進んで、少しはまともな世の中になるかもと期待している。

マイナンバーが動き出そうとすると、毎度、プライバシー保護が問題となる。あらゆる情報にひもづけられるのだろうけれど、番号だけであらゆる情報にアクセスできるほど今の情報システムは単純ではないはず。税制なら税制の"とあるシステム"に入る権限を持つ人が"そのシステムで管理されている情報"にアクセスできるのであって、健康保険の人がアクセスできるわけではない。普通に暮らしている人ならば、それほど心配する必要はないと思う。 なりすましやIDの売買はかならず起きるだろうけれど、それは今でもやろうと思えばできることで、簡単になるわけではないだろう。摘発が容易になるという側面もあるはず。

不安を煽る人は、マイナンバーであぶりだされるであろう役所のサボりがバレるのが心配な人や、税金をごまかすことを商売としている人たちなのかなと想像している。

一方、マイナンバーの副次的効果として、この対応のために莫大な税金が使われること。下手な公共事業よりも大きなお金が動くだろう。

それ以前に、1億2千万人の情報を扱うシステムがうまく立ち上がるのかという点が一番の問題点かもしれない。

2012.10.30

ココログ再開

しばらく書かないでいたが、再開。中断した理由はないが、再開の理由もない。

最近はSNS全盛でブログが流行らなくなったように見えるが、情報量や検索性などの再利用性ではブログの優位性は明らか。マイナビのシリコンバレー101の486回の記事にもあったように、Webに関する個人間の情報の流れの半分以上はまだ、Dark Socialと呼ばれる"SNS経由ではない、メールへのURL貼付けなど枯れたメディア"だという話を聞くとやっぱりなあと納得させられる。

もうひとつ厄介なのはSNSが変化を続けているメディアだということ。システム変更で囲い込みが始まったり、ある日突然"サービスを終了させていただきます"となった時のデータ保全が難しい。いろんなサービスが"終わる"姿を見てきてからは、枯れたメディアかつ、自分でデータ管理ができるものでないと安心して使うことができない。

と、いろいろ考えたけれど詰まるところ、僕が世捨て人と言っても良いような現状で十分であり、それ以上の人とのつながりを求めていないということが根本にあるのかもしれない。

2012.05.23

ストラスブール美術館展

先日、福井県立美術館に久しぶりにやってきた本格的なヨーロッパ絵画展を家内と見に行った。美術は門外漢なのだが、"いいなあ"という程度のよしあしは自分なりに感じて楽しむことができた。

一番気に入ったのは、アンリ・マルタンという画家のパリに降る雪景色の絵(下の画像)。雪国育ちで普段から雪景色は楽しいものではないと思っているのだが、自分が当たり前として見ているような景色を選んで、絵に描こうとする画家の気持ちに共感したのかも。
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一方、抽象画はなかなか受け入れられない。絵の中に自分なりの意味を見つけることができる作品は受け入れることができるのだけれど、今回の目玉作品だったピカソの絵は"ふーん"以上の感動を得ることができなかった。でも若い頃に比べて受容幅はずっと広がっていて、美術館に出かけることが楽しいと思えるようになったのは、数少ない加齢による得だなと思う。

2012.05.21

金環食

今日は金環食。合わせて年休を取ったので、ゆっくり楽しめた。

福井は完全な金環食にはならない地域だが、早朝から快晴の空が7時過ぎにはだんだん暗くなり、夏の夕方のような感じになる。観測用眼鏡は準備しなかったので、金環食そのものはテレビで見たのだが、外で太陽をチラ見すると左下の光が欠けているのがわかった。

金環食で有名になった、Dreams Come Trueの"時間旅行"はリアルタイムで結婚直前に聞いていて、こういうロマッチックな話もいいけど、ずいぶん先だよなと感じていた。その時が実際に来てみると、あっという間に時間が過ぎていて、紆余曲折はあったもののなんとかやってこれたなあという安堵感の中にいる。

でも次の金環食は18年後。次は見られないかもなと思うと、小さなイベントでも大切にしないとなと感じたりもしている。

2012.05.19

九頭竜新緑まつり

家内と大野市の新緑まつりに出かけた。

新緑まつりは秋の紅葉まつりに比べて2/3ぐらいの規模で、人出も少ない。ちょっと寂しいような、空いてて助かるような感じ。目当てはイワナの塩焼きとおろしそば、山菜天ぷらなど。考えてみれば、今は収穫の時期ではないので、店も少ないのかもしれない。

今年から上の子は名古屋へ進学、下の子を誘ったが行かないという。2年後は下の子も進学の予定なので、これからのお出かけは2人が普通になる。都会へ行けと追い出したものの少しさみしい感じがして、でも、これが必然だとも納得して、少し複雑な気分。

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2012.04.27

Windows8はディスプレイを売りたい?

Windows8の発売が秒読み体勢になった。Microsoftのシノフスキーさんのインタビューによれば、「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」とのこと。

Appleの結論はタッチするのはダブレットまで、画面の大きいMacはトラックパッドだったのだが、Microsoftの結論はすべての端末で"タッチ"ということみたいだ。でもPCのディスプレイでタッチは現実的でない。特に大画面ワイドディスプレイの場合は座っていては画面の端まで手が届かない。そうでなくても腕がだるくなるのは間違いない。

おそらくMicrosoftの人たちは散々触っているのだろうから、そんなことは百も承知なのだと思う。それでも"タッチ"を言うのは、Windowsエコシステムのハードウェアメーカーへの配慮なのかなと思う。タブレットに移行する流れが本物ならば単価は下がる。PCメーカーもディスプレイメーカーも売れなくなる。大物ハードを売るための方便が"PCでもタッチ"だと思うのだ。

一方、Appleの選択したRetinaディスプレイもハードの買替えを促すが、おそらくMacにオプション設定されても数万円か、10万円を超える価格になって、本格的な普及にはSSDのように数年かかるだろう。Windowsエコシステムではそんなに待っている時間はない。IPSディスプレイでも2万円を切るものがある現状では、一刻も早く買替えをというのが切実な願いだろう。

と、考えてみたのだがどうだろうか?

別案としては、机のような大型タブレットを緩い角度で傾けて使うようなハードが出てくるのかもしれないとも考えるのだが、物を落としたら割れるとか、机が狭くなるとかネガティブなイメージしか思い浮かばない。

今のPCの姿は25年もかけて作られてきたものだから、そう簡単には変わらないのではないかと感じていて、タブレットの時代がくるという話にもなかなか納得できないでいる。

2012.04.22

シダレザクラは漢字

しだれ桜の季節になったので書く。

去年の夏頃に初めて"シダレザクラ"を漢字で書くと"枝垂桜"だということを知った。それまでは、"シダレ"という音感が"しなだれる"という言葉の変形だとばかり思っていた。そのためシダレザクラは園芸品種として外国で開発されたものが導入されたような印象を持っていたのだが、漢字の名前に気付いてしまうと目の前の"シダレザクラ"は"枝垂桜"に変わってしまって漢字の字面が強烈な純和風の花木に感じてしまうのが不思議だ。

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